【香港の大富豪】香港で富豪トップをキープする李嘉誠の生い立ちから現在までをご紹介

Hong Kong landsape 香港

李嘉誠は香港では大人も子供までよく知られた大富豪ですが、日本での知名度は今ひとつ高くありません。

ところが彼は、香港で常に富豪トップをキープしている大富豪であり、香港最大の企業集団「長江実業グループ」の創業者です。

2013年には世界第8位の富豪に上り詰め、香港・華人として世界1の資産家になりました

現在94歳で、すでに90歳を前にした2018年に引退をしておりますが、グループ顧問として経営陣にアドバイスを提供するなど依然その慧眼の影響力は未だ衰えません

ここではその李嘉誠の生い立ちから、現在に至るまでの軌跡を追うことで、香港大富豪のメカニズムを少しでも解明しようとするものです

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李嘉誠の生い立ちと歴史

  • 1928年 中国の広州に生まれる
  • 1940年 戦争から逃れ、当時イギリス植民地の香港へ渡る
  • 1941年 香港が日本領となり、栄養失調と病気で苦しむ
  • 1943年 父が病気で亡くなり、一家を養うために学業を断念し、プラスチック貿易会社で働く
  • 1950年 約100万円の貯金と親友からの借金で「長江プラスチック工場」を設立(その後、造花の製造技術を欧州で身につけ、香港に戻り「香港フラワー」として知られる造花で成功を収める
  • 1967年 香港暴動で暴落した土地を買い漁り、「長江実業有限公司」を設立、のちに香港最大の不動産ディベロッパーとなる
  • 1985年 香港島の電力供給を独占する「香港電灯」を買収
  • 1989年 天安門事件により外国企業が中国から撤退した際、逆に中国への投資を拡大。香港最大の企業集団として台頭
  • 2002年 アリババグループのジャック・マー氏ら次世代の中国人実業家を育成した「長江商学院」を設立
  • 2018年 長江実業グループからの引退を表明。現在はグループ顧問として経営陣にアドバイスを提供

李嘉誠は努力家として知られる一方、先見の明のある経営者として知られています。彼の成功は、幼少期からの苦労と積極的な投資によって築かれました。

香港の土地やインフラの多くは彼が作った会社によって支えられており、彼の存在は香港にとって欠かせないものと言えるでしょう

李嘉誠に関連する企業

長江和記実業(CKハチソン・ホールディングス)

2015年に長江実業とその関連会社だった和記黄埔(Hutchison Whampoa)と合併したことで誕生した。この際に、不動産業は切りなはされ分離上場されている

コアとなる事業領域は、インフラ、テレコム、港湾、小売、エネルギーの5つであり、長江グループの日不動産部門を担っている。

売上比率では欧州が半分程度を占め、中国・香港はそれぞれ10%程度にとどまっている

インフラ事業では、アジア、欧州、豪州で電力や水関連事業を展開する長江基建集団の過半数の持分を保有

テレコム事業は、欧州の通信大手スリーを保有。アイルランドやスウェーデン、オーストリア、デンマーク、イタリアなどで通史事業を手掛ける。インドネシア、ベトナム、スリランカなどのアジアでも展開

港湾事業では、欧州最大のコンテナ港と言われるオランダのロッテルダム港を保有

小売り事業では、ドラッグストア「Watsons」、スーパーマーケット「PARKnSHOP」、家電量販店チェーン「Fortress」などを展開

エネルギー事業では、カナダの石油、天然ガス大手、ハスキー・エナジーを保有する

売上のうちに中国・香港が占める割合が低いことが特徴だが、それゆえに米中対立の間に置かれ、微妙な舵取りの上に成り立っているビジネスである

長江実業集団(CK・アセット・ホールディングス)

2015年に分離独立した際は、不動産を多く手掛けていたが、その後不動産の売却が進み、インフラ事業への投資を盛んに行なったことを踏まえて、2017年に長江実業集団に名称変更を行った

中核の自動産開発のほか、不動産REIT運営、ホテル運営などであり、一部航空機リースも取り扱う

香港内のホテルで有名なのは、Harbour Grand HotelやSheraton Hong Kongである

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